これはあくあたん工房 GW Advent Calendar 7日目の記事です.
> はじめにはじめに
torisiura9です。
博士号取得を目指してソフトウェア工学の研究をしていますが全く関係ない話をします。
2019年4月10日、人類史で初めてブラックホールを観測したことが報告されました。
ノーラン監督の『インターステラー』が何かしらの原風景になっている我々にはかなりホットなニュースでしたね。
ブラックホールはアインシュタインの提唱した一般相対性理論によってその存在が予言され、またX線による解析で実在が確かめられていましたが、直接的な撮影は今回が初めてとのこと。
今回撮影されたのは乙女座の楕円銀河M87の中心に存在する超大質量ブラックホールで、地球からは約6000万光年離れているとされています。
撮影には世界各地に散らばる最高峰の宇宙望遠鏡を連携させ、地球の自転とスパコンを利用して地球サイズの仮想望遠鏡を構築したそうで、まさに人類総力vs宇宙といった感じでテンションが上がりますね。
> ホログラフィック原理って?ホログラフィック原理って?
> あなたも幻影、わたしも幻影あなたも幻影、わたしも幻影
ブラックホールといえば、昨今(?)の物理学界隈では我々の住むこの宇宙についてある興味深い学説が提唱されています。
その名も「ホログラフィック原理」
内容を端的に言えば、
「我々が3次元だと認識しているこの宇宙は、実は2次元の平面に記述された情報がホログラムのように浮かび上がらせているだけの幻影である」
という説です。
突拍子もない荒唐無稽な論に聞こえますが、最近ではホログラフィック原理の枠組みに当てはめることでプラズマの粘度が予測可能になったり、量子もつれ (quantum entanglement) の現象を上手く説明できたりする研究成果も上がってきていて、ホログラフィック原理は多少なりとも正しさを認められ、その立場を明確にしつつあるようです。
未だ議論の余地はあるものの、ホログラフィック原理が全面的に正しいということになれば、我々がいま実在していると思い込んでいる全ての物体や事象は実際には存在していない単なる副次的な幻影だと結論づけられ、我々の生命観や社会観は破滅的な転換を迫られることになるかもしれません。楽しみですね。
> 根拠はあるのか?根拠はあるのか?
どうしてもトンデモ感の拭えないホログラフィック原理ですが、単なるSF設定とはわけが違うのは、このアイデアは既存の理論の問題を解決するために既存の研究成果から導かれたものであり、これまで連綿と紡がれてきた理論の中で有機的な繋がりを有している点です。
今回の記事では、ホログラフィック原理が着想された背景を自分なりに整理して、あくあたん工房の象徴たる人工無脳botあくあたんでも理解できるレベルに噛み砕いて説明することを目指します。
技術要素はありません。これは完全に趣味記事です。
- 注意として、この記事の内容は正しさを保証するものではなく、専門外の人間が執筆時の理解を述べているに過ぎないので、曲解や短絡を含む可能性があります。正しい知識に出会ったら各々で知識をアップデートしてください。
> ブラックホールって?ブラックホールって?
ホログラフィック原理の出発点は何を隠そうブラックホールにあります。
ただし「ブラックホールっていうのは〜何かすごい吸い込んでるめっちゃ重くて黒い星!」みたいな理解だと次の話に進められないので、まずブラックホールについて簡単に説明します。
> 一般相対性理論って?一般相対性理論って?
冒頭のほうでも書きましたが、ブラックホールの存在はアインシュタインの一般相対性理論によって初めてその存在が示唆されました。「この理論が正しいならこういうものが存在するだろう」というわけです。なのでまず一般相対性理論について理解する必要があります。
一般相対性理論の意味するところは、単純に言えば「質量によって時空は歪む」ということです。
それまでの古典力学では(a)時間と空間は完全に独立した概念であり、(b)縦横高さの3次元空間は常に直交する と思われてきました。
アインシュタインはまず「時間の流れは一定ではない」という特殊相対性理論を示すことで(a)を否定し、次に(b)の否定を前提とした一般相対性理論に拡張することで時間の相対性を説明しました。
(結果的に古典力学の神話は崩壊しましたが、地球上など、大質量の無い場所では普通に古典力学を適用しても問題ないのでその有用性は依然保たれています)
一般相対性理論の説明には上のような画像がよく使われます。
大質量のない宇宙空間では均質なグリッド面が、恒星などの大質量が存在する場所ではその質量に応じて凹んでいます。その凹みの斜面を転げ落ちる力が重力あるいは万有引力だと説明されています。
ただし、ここでは3次元的に沈む2次元平面で表されているイメージが、実際は4次元的に沈む3次元空間であることに注意してください。
我々は3次元に住んでいる……かはともかく3次元的な知覚を有しているため、4次元方向への「沈み」自体を直接見ることは出来ませんが、「沈み」の作用を受ける3次元要素の振る舞いを介して「沈み」を知ることができます。
例えば大質量の恒星の周囲の空間が歪むことで、それが本来ある方向から捻じ曲げられた方向に別の景色を見ることができます。
この現象は重力レンズとも呼ばれます。
> 結局ブラックホールって何なの結局ブラックホールって何なの
ブラックホールの存在は、アインシュタインが一般相対性理論の中で示したアインシュタイン方程式の特殊解としてシュバルツシルトが発見しました。
ある物体の質量がより大きく、体積がより小さくなるにつれ、その周りの空間はより深く沈んでいきます。またその傾斜によって発生する重力は強くなっていきます。
その場に発生している重力の大きさに応じて、その場の重力から逃げ切って離れるのに必要となる初速度である脱出速度は増えていきます。例えば地球の重力圏からの脱出速度 = 第二宇宙速度は地球の重力に基づいて約11.2km/sであるとされています。
質量に上限が無いことから脱出速度にも上限はありません。一方で、速度には光速=約30万km/sという上限があります。そのため、脱出速度が光速を上回ってしまうとその重力圏から脱出する手段は無くなってしまいます。つまりブラックホールとは、光速を上回る脱出速度を要求するような空間の歪みを指します。
空間の傾斜はブラックホールの中心に近づくにつれて連続的に大きくなっていくので、脱出速度が初めて光速を上回るようなブラックホール中心からの距離というものがあります。その距離は空間の歪みを発生させている天体の質量に依存し、シュバルツシルト半径と呼ばれます。
また中心とシュバルツシルト半径のなす球の表面は事象の地平面(event holizen)と呼ばれることがあります。
事象の地平面の内側では光は重力によって脱出することができないため、明るい背景のうえでブラックホールはその名の通り黒い穴のように見えます。
また周囲に発生した強い重力によってその周囲の物体を引き寄せます。
また空間が歪むことで事象の地平面の内側の空間は果てしなく引き伸ばされ、時間は果てしなくゆっくりと流れます。
この辺は一般的なブラックホールのイメージと同じですね。
> ホログラフィック原理の着想:概要ホログラフィック原理の着想:概要
それでは本筋に戻って、ブラックホールの存在を出発点とするホログラフィック原理の着想に至るまでの過程を整理したいと思います。
「全体から部分へ」の金言に従って、はじめに大枠の概要を示しましょう。次のように理解しています。
- ホーキング博士が投じたブラックホール情報パラドクスを解決するために、
- 事象の地平面の表面積とエントロピーの関係性にヒントを得て、
- ひも理論の枠組みの中で上手く説明できる理論を構築した。
なるほど〜。いかがでしたか? わけわかりませんね。一つずつ説明していきましょう。
> ブラックホール情報パラドクスって?ブラックホール情報パラドクスって?
ブラックホール情報パラドクスとは、ホーキング博士の示した「ブラックホールはいずれ蒸発して消え去るので、それまでに吸い込んだ物体(=量子)の情報は保存されない」という事象と、量子力学でユニタリ性と呼ばれる「量子の情報は常に保存される」という性質が矛盾することを指しています。
> ブラックホールのエントロピーって?ブラックホールのエントロピーって?
「系のエントロピーは常に増大する」という熱力学第二法則は決して破られてはいけません。永久機関を生み出すことになるからです。
ブラックホールを含む系が熱力学第二法則を破らないようにするには、ブラックホール自体がエントロピーを持ち得る必要性がありました。
熱力学(統計力学)におけるエントロピーの概念と情報理論におけるエントロピーの概念が対応していることは、マクスウェルの悪魔やベネットの情報エンジンの思考実験から示されています。
観測を行うことでその系の持つ情報のランダムさ(エントロピー)が減少し、代わりにエネルギー損失無しに粒子運動の乱雑さ(エントロピー)を上昇させることが可能になります。
質量を持つ別の物体がブラックホールに引き寄せられ、事象の地平面の内側に入ってしまうと、もはやその物体をブラックホールの外側の観測者は観測することができなくなるので、その物体の情報エントロピーは失われます。
もしブラックホールがエントロピーを持ち得ないならば、物体のエントロピーはただ消失してしまったことになり、これは熱力学第二法則に反します。
なので、ブラックホール自体がエントロピーを持っており、吸い込まれた物体の持つ情報がブラックホールの情報的ランダムさに変換されてエントロピーが増大すると考えることで、ブラックホールを含む系は熱力学第二法則を保つことができます。
> ホーキング輻射って?ホーキング輻射って?
ホーキング博士は、「ブラックホールがエントロピーを持っているならば、量子力学的には熱的な放射があるべきだ」と考え、実際に放射があることを理論的に示しました。これをホーキング輻射と呼びます。
ホーキング輻射の作用によって、ブラックホールは非常に長い時間をかけてエネルギーを全て失い、蒸発して消失するだろうということが示されました。これだけなら特に問題はありません。
しかし、計算によって導かれた放射量の数式は、ブラックホールの熱放射はそれが吸収した物質の種類とは全く関係がないことを示唆していました。
つまり、ブラックホールはいつか消え去るが、それまでにブラックホールに吸い込まれた物質の量子状態に関する情報を入手する手段は存在しないため、ブラックホールの消失と共にそれらの情報も消失するという結論が得られたのです。
この結論は量子力学の見地からは大問題でした。
量子力学では、量子状態に関する情報は常に保存されることを意味する原理が既に確立されていたからです。
このように、既存の理論から導かれたブラックホールの性質が量子力学に喧嘩を売ったことからブラックホール情報パラドクスと呼ばれる矛盾が生まれ、このパラドクスを解決する新しい理論が要求されることになったのです。
> 面積の重要性!面積の重要性!
ブラックホール情報パラドクスを解決に向かわせる理論構築の鍵になったのは、ブラックホールにおける事象の地平面の表面積に関する発見でした。
ベッケンシュタインはホーキングの理論を元に、「ブラックホールのエントロピーは事象の地平面の『表面積』に比例する」ことを発見しました。通常、物体のエントロピーはその体積に比例するので、この発見は驚くべきものです。
またベッケンシュタインは物体の持ちうるエントロピー(= 情報量)の上限は、その物体の大きさに依存することを明らかにしました。
これは有限の大きさの物体には有限の情報量しか含まれないことを示しています。この上限条件はベッケンシュタイン境界と呼ばれています。
そして驚くべきは、ここでもこの物体の大きさを規定するのは体積ではなく物体の表面積であるという点です。
これらのことから、ブラックホールを構成する全ての情報量は事象の地平面の表面に蓄えられていると解釈できます。ブラックホール内部が4次元時空にできた3次元の球だとすると、ブラックホールの自由度は見た目よりも一次元低いということになります。
これをもとに、トホーホフは「境界平面上の情報が空間を形作る」というホログラフィック原理の原型を考え出しました。
そののち、サスキンドが弦理論(ひも理論)によって精密な解釈を与えました。
最後に、弦理論の上でマルダセナの提唱したAdS/CFT対応によって、ブラックホール情報パラドクスを解決する理論が構築されました。
またよくわからん概念が出てきましたね。頑張って整理していきましょう。
> 弦理論(ひも理論)って?弦理論(ひも理論)って?
> 物質の最小単位としてのひも物質の最小単位としてのひも
女性に寄生する無職男性と絡めたギャグとして消費されることの多い可哀想なひも理論ですが、この際ちゃんと内容を理解しておきましょう。
我々が普段見たり触れることのできる物質は分子から構成されているのは周知の通りですよね。
この世には膨大な種類の分子がありますが、それらはわずか百数種類の原子の結合によって成り立っているのもご存知かと思います。
次に原子の1つを細かく見ていくと、原子核とその周囲の電子によって構成されていることが分かります。また原子核は陽子と中性子からなります。
このように、物質の構成要素を拡大していくと、より単純な内部構造が見つかってきました。現在では陽子と中性子はクォークと呼ばれる粒子からなることが分かり、電子を含むレプトン等と合わせて素粒子と呼ばれています。
現在、素粒子は内部構造を持たない、物質の最小単位だと考えられています。また素粒子は大きさを持たない0次元の点であり、素粒子が3次元上で運動する領域が原子や中間子として作用すると考えられています。
素粒子は電荷やスピンなどの性質によって17種類に分類されています。しかし物質の最小単位が17種類もあるというのは何となく複雑すぎる気がしなくもありません。
また「電子の大きさを0とすると質量が無限大になる場合がある」という不都合も見つかっていました。
ひも理論とは、物質の最小単位は0次元の素粒子ではなく、1次元の「ひも」であるという理論です。ひも理論ではこのひもは振動しており、その波長によって異なる性質の素粒子として振る舞うと考えられています。
ひもには、線のように開いたひもと輪のように閉じたひもがあると考えられています。閉じたひもは重力を、開いたひもはそれ以外の3つの力を表していて、力の統一理論に近い理論であると期待されています。
> 超弦理論(超ひも理論)超弦理論(超ひも理論)
ひも理論を拡張したのが超ひも理論です。超ひも理論では普通の空間ではなく超空間を採用しています。超空間は同じ数同士を掛けると0になるようなグラスマン数の方向を含む空間です。グラスマン数方向への振動を仮定しなければならない素粒子(フェルミオン)が存在することから考案されました。
超ひも理論は10次元時空のうえで成り立つとされています。この10次元のうち我々の認識している3次元空間と1次元の時間の他の6次元に関してはカラビ・ヤウ多様体により量子レベルでコンパクト化されており、観測が著しく難しくなっていると考えられています。
これは、我々の住む次元が実際は10次元であることを予言しています。
また超ひも理論にはDブレーンという多次元上の膜状物体の概念が登場します。
開いたひもの両端はDブレーンに接続されていて、その膜の表面に沿ってしか振動することができません。一方で閉じたひもは両端が無いためDブレーンに接続できず、そのため次元の制約を受けずに運動することができます。これは、重力だけが余剰次元に作用できることを説明しています。
正直、超ひも理論に関しては理解が追いついてないのでもっとちゃんと勉強する必要がありそうです。
> ひも理論上でのブラックホール情報パラドクスの解決ひも理論上でのブラックホール情報パラドクスの解決
トホーホフはホログラフィック原理を提唱し、ブラックホールの情報エントロピーは事象の地平面と対応しているとした上で、「ブラックホールに突入する物体の重力場が事象の地平面を変化させることで情報が保存される」とし、情報の消失は起こらないと考えました。またこの地平面の変化は弦理論で記述できると予想しましたが、精密な解釈には至りませんでした。
それに代わって、のちにサスキンドが弦理論によってこの現象に精密な解釈を与えることに成功し、物質突入時に起きる事象の地平面の振動がその物質の完全な記述であるとしました。
サスキンドは、弦理論における高レベルに励起した長いひもがブラックホールと等価であることを示し、ブラックホールの振る舞いが弦理論上では古典的な解釈が可能であることを利用しています。
こうして、ホログラフィック原理に基づくアイデアがホーキングのブラックホール情報パラドクスを初めて(唯一?)解決する手段を与えたことで、平面の情報が空間を形作るというホログラフィック原理は説得力を持って迎えられました。
> ホログラフィック宇宙論ホログラフィック宇宙論
最後に、ブラックホールの事象の地平面で確認されたこのホログラフィック原理が我々の住む宇宙全体に適用される可能性について説明して終わりにしましょう。
事象の地平面が発生する条件は、強い重力によって脱出速度が光速を超えることでした。
速度は光速を通常超えることはできないため、ほぼ全ての空間は観測可能であり、ブラックホールの地平面内部が特異点として扱われる所以でもあります。
しかし実は、光速の制約を超えて観測が不可能になる場所がもう1種類あります。何だかお分かりでしょうか?
そう、光速を上回る速度で膨張を続ける宇宙の果てです。
膨張に伴って地球から離れていく空間は、距離が離れているほど地球からの後退速度は速くなるため、ある距離以上は光速以上の速さで離れていきます。つまり、ある距離より先は観察することができません。この観察可能限界である時空面は宇宙の事象的地平面と呼ばれます。
ブラックホールの事象の地平面と同じ議論が宇宙の事象的地平面に関しても適用できるならば、この宇宙空間そのものが宇宙の地平面に記述された情報の幻影かもしれない……という理論が、ホログラフィック宇宙論というわけです。
> おわりにおわりに
いかがでしたか?(様式美)
本当にこの宇宙がホログラムだったら面白いなと思うんですが、あくまで仮説ですし、検証のしようもなさそうな話なので、あまり期待はできないなという気持ちです。
そもそも人間の思考とか生命活動もミクロな視点で見れば分子構造や電気信号の寄せ集めであることは明らかでそれ自体幻影みたいなもんなんですが、それでも人間の皆さんはあんまり気にせず楽しく人生やってるので、今さら我々がホログラムだったり上位文明のシミュレーションであることが立証されても案外ノーダメージかもしれないですね。
量子計算科学者のセス・ロイドはこの宇宙自体が一つの量子コンピュータであり、量子計算を実行している様子がこの現実なのだという宇宙像を描きました。
また作家のスタニスワフ・レムはその著作『完全なる真空』所収の「新しい宇宙創造説」で、異なる物理法則の支配圏を競い合うゲームのような宇宙像を描いています。
宇宙は魅力的な思考実験場で、想像力の数だけ面白い仮説は生まれてくるので、そう簡単に「正解」を掘り当てて風化させなくてもいいのかもなという気もします。
そういえば、「あくあたんでもわかる!」をテーマに据えて限界まで簡単化した記述を目指したんでした。これが自分の理解の限界という面もありますが……
ところどころぶん投げたところもありますが、難解な数式もなく、それなりに分かりやすく整理できたのではないでしょうか。あくあたんがちゃんと理解できていれば嬉しい限りです。
Twitterで聞いてみましたが10分待っても返事してくれません。わかってないのか?
ラボslackで聞いてみましょう。
怒られました。
それでは〜