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インスタンスとクライアントにキュートな関係はあるか

カテゴリ:Mastodon, TheDesk 投稿日:2019年5月5日

タイトルだましとはこの記事のことである。

これは、Mastodon Golden Week Calendarの9日目、2019(令和元)年5月5日の記事だ。

クライアントとインスタンス。Fediverseに近いのがインスタンスで、ユーザーに近いのがクライアント。いずれも必須のものだ。
しかし、自分が制作しているMastodonクライアント「TheDesk」は何やら変わっている気がする
もともと多くのクライアントがそうであるような「オレオレクライアント」(つまり、自分で使う目的で作り始めたもの)ではないと昨年投稿したのだが、それを加味しても、この一年で大きく変わった。
簡単に言うならば「TheDeskは私から離れた」。
様々な機能要望やバグ報告を受けた。自分が使っていないOS版のリリースや、自分なら使わないなと思うような機能も多く付けた。コントリビューターもいるし、ビルダーも居る。これを批判するつもりもないし、オープンソースなフリーソフトウェアであるのだから、公開をやめようがなんだろうが何ら関係のない話ではある。なんだか寂しい。

クライアントに求められているもの

クライアントに求められているものは何か。それはAPI経由で提供される情報を正確に表示することに尽る。全てのクライアントは一意の情報を表示すべきで、特定のクライアントだけで機能する難解無意味な文字列は不要だ。この話で揉めたことがあるのでこれ以上のことは言わない。しかし、何にしろ常に言っているのだが、「インスタンスありきのクライアント」なのだ。当然クライアント(Web UIも含めて)が無いとインスタンスも立ち行かない。これも個人的に好きな言葉(初出は自分ではない)だが、「インスタンスはユーザーを選べるが、クライアントはユーザーを選べない」のだ。
先述の通りクライアントは遍く全てのインスタンスに対応することを理想とするのに対し、あるインスタンスが特定クライアントをブロックするということがある。サードパーティーでシェア一位を独走するあのクライアントをブロックするインスタンスもあるし、当然TheDesk(PC)をブロックする計画を持つインスタンスもある。しかし、これについて私は反対意見を持たない。インスタンスはクライアントのことなど本来考えるべきではない。(このようなことを言うと、TheDesk(PC)のブロックされた要因を棚に上げて論じてるように言われるかもしれない。現在報告されている全ての具体的バグ, 脆弱性に対処しているので、ここで話をするものではないと考える。)

TheDeskとFediverse

そもそもTheDeskはMastodonまたはFediverseの連合理論に反してる。どこのインスタンスにログインしても同じネットワークが得られるのがFediverseの特徴だが、5つも6つもログインして運用していろんなインスタンスのカラム並べてウェイウェイするのは正直言ってFediverseの毒だ。

おひとり様建てた

ここで、クライアントとインスタンスの関係を再確認しようと、自らインスタンスを運営することにした。今からユーザーを募るのはリソース的にも無理なので、いわゆる「おひとり様インスタンス」で対処することにした。

移行に際して一番気がかりなのはソーシャルグラフの維持だ。フォローをインポートすればHTLはほぼ再現できるが、フォロワーが返ってくるかどうかは保証されない。movedされたアカウントのフォローを自動でmoved先に飛ばすくらいのことをしてくれてもいいと常々思うが、そういう機能はない。
今回の移行に際して、すべての投稿を自動で元のアカウントに投稿元のリンク付きで未収載で再掲するbotを運用することにした。(7日ほどで止めました。前の鯖缶から言われたので。)(これに対してマルチポストであるという批判も考えられるが、アカウントの主従関係がはっきりしていることや、投稿内容が一致していないことなどから、私はそう考えない。)

連合とは

TwitterなどのSNSを中央集権的SNSと言って非難し、分散型SNSとしてFediverseを賛美する。これは正しいのだが、インターネットというものはもともと分散化されているし、今も最大限分散されている。

安室奈美恵によってファッションの流行が全て決定されていた時代から、このツイートのように「分散」した。これは若者にまでインターネットによる情報発信が浸透した結果だと考える。
中央集権的SNSの発生は必然的なもので、収入を持たない学生を中心に情報発信の場は無料でないと成り立たず、情報をおカネに変えるという発想は遅かれ早かれ生まれるものであった。
既に個々に分散化されているので、ここで問題になるのは中間のレイヤーしかない。現況、この中間レイヤーがGAFAMなどの大企業によって換金ツールとして動かされている。
一般ユーザーは中間レイヤーの存在に対して無意識だ。GAFAMに情報が搾取されるより炎上して情報が特定される方がよっぽど怖い 。
ただ、中間レイヤーが中間フィルターに変わったとき、ユーザーの意識は変わる。大企業は利益を最大化するため、中間レイヤーを通過する情報にフィルタリングをする。無意味なアカウント凍結がこの類に当てはまる。
当然ながら、情報はフィルタリングされて然るべきだ。全ての情報を処理できる人間は存在しえず、これこそが連合TLを見る人がほとんどいない理由にもなっている。中間レイヤーがフィルターする情報は、「明らかに法律で規制されているもの」だけでいいのだが、カネや政府、世論のために、怪しきものを罰しているのが現状だ。これに沿えばPixivの二次絵も中間フィルターの対象にはならないはずで、このことが最低でも日本における分散SNSの萌芽となった。

ユーザーは情報の集まるところに集まる。中央集権はGAFAMが作り上げたものではない。Fediverseは残念ながら情報の集結性、拡散性が圧倒的に低い。つまり、情報の集散地としての価値が低いのだ。現状これでユーザーが集まらないのは必然としか言いようがない。

Pawooが流行るのはTwitterで凍結されるような画像をあげるユーザーが日本に多いからだ。Mastodon(Fediverse)の魅力は、現状「自由な発言の場」であるというところしかない。ただ、Twitterも大多数は自由に発言できている。これでは移行は進まない。残念ながら、 Mastodon(Fediverse) に人を呼ぶ一番の(受動的な)方法は、Twitterが規制を強化することだ。

しかし、自由は無法ではない。卑猥語の溢れるタイムラインを自由とみなすか無法とみなすか、これがFediverseの移行を決める重要なポイントだ。Twitterは0から有名人や知人をフォローして増やすので、そこにユーザーの自由がある。MastodonはLTLがある。情報のフィルターは一切ない。嫌でも卑猥語、R18画像を視界に入れてしまう。つまり、卑猥表現を求めないユーザーは、現況、最初は自己を排他的にすることでHTLを構築するということになる。それに耐えられる人間はどれだけいるだろうか。

民度という言葉は好きではないが、LTL上のユーザーの(これも嫌な表現だが)トゥートのクオリティがインスタンスの定着を決める。

インスタンス選びは自由ではない

Googleの検索結果を信じ込む大多数のユーザーにとって、情報はGoogleに握られている。さて、ここで検索ボックスを開いて「mastodon」と打ってみよう。何がトップに出てくるだろうか。答えはmstdn.jpかウィキペディアかにわかに流行ったあの4月の雑多なブログだ。どうせこのブログどもにも一番上にjpが出るのだろう。この時点でユーザーのインスタンス選びは終わってしまった。たったの0.4秒だ。無念。

インスタンスとクライアントの関係

TwitterにおいてWeb UIは広告の場としてのツールだが、Mastodonに当然その性格はない。サードパーティークライアントは各々いろいろWeb UIと比較し、差異を打ち出してユーザーにアピールする。

一度Mastodonの開発者であるオイゲン氏に「モバイルアプリ(Mobile Apps)」の表現をなぜ「クライアント(Clients)」や単なる「アプリ(Apps)」にしないのかと尋ねたことがある。 このリンク先にはモバイルアプリ以外も多く並んでいるので実情に即していない。(ちなみに、モバイルで使えないアプリを最初にここに掲示したのはWhalebirdだ。)しかし、ユーザーが求めているものはモバイルアプリであるという理由で、この表現が変更されることは無かった。

PleromaのWeb UIを残念という人も少なくないが、Pleromaは公式クライアントを出す(フォークする)ことで解決しようとしてる。つまり、インスタンスとクライアントをより分離させようとしているのだ。Pleroma公式とpleroma.com(Roma)とは無関係です。

Web UIというクライアントがあまりにもインスタンスと密接に関わっているために、インスタンスとインスタンスのWeb UIとクライアントの関係がおかしくなっている。MastodonはWeb UIにすべてのAPIのUIを実装しているわけでもない。中途半端だ。この表現も「Try(原文)」つまり「試す(日本語)」のだ。基本はWebUI使えよなっていう圧を感じるのは私だけか。

連合理論においてマルチアカウント対応のクライアントはなのだろうが、さて、クライアントは永遠に分散できないのだろうか。そもそも、Fediverseは本当に分散できているのだろうか。

もっと「分散」させるために「大手インスタンス」を解体させろという論がある。この意見に私は賛同するが、真にあるべき分散に当然ローカルタイムラインなどというものはない。しかし、ローカルタイムラインのないインスタンス集団になんの差異があろうか。それなら一つのパワーインスタンスに居れば良いのである。もはや輪廻である。まず、本当に連合、分散を突き詰めるならばインスタンスなぞ存在しない。インスタンスがある時点でユーザーはインスタンスという枠組みを抜け出せない。

話が飛ぶが、最後に5GやIoT、つまりすべてのものがネットにつながるというものを標榜するというのは、制限のないインターネット、完全に分散した個々の情報発信を支えるものになるのだろうか。

キュートな関係とかタイトルに書いておきながら本当は非常にぎくしゃくした関係を持っているのだ。タイトルで心躍らされた人に謝罪を申し上げる。結論として、キュートな関係は現状ない。

明日のアドベントカレンダーは

Pawooについて私が考える二、三の事柄 。Pawooは最後の企業インスタンスって感じだが、扱っている内容も賛否が分かれるので楽しみだ。運営はあまり積極的ではないが。